今年9月28日(土)~10月6日(日)福島県天栄村で世界大会が開催されることを記念して、今後数回に渡り記事掲載します。
FICC世界大会とは…
FICC(キャンピング・キャラバニング・オートキャラバニング連盟)が開催する世界のキャンプの祭典。毎年1回加盟団体のいずれかの国で行われている。会場では各国のキャンパーがパーティーを始め、会場で行われる様々なイベントを通して、世界各国のキャンパーと交流を諮る一大イベント。
今回は世界大会とはどのようなイベントなのか。FICCのテーマの一つに「平和」があります。なぜキャンプの団体が平和をテーマとしているのか。その理由をFICCの歴史から紹介します。
19世紀後半にヨーロッパでキャンプが行なわれるようになると、キャンプ愛好者が集まり、親睦や情報交換などを目的としてキャンピング・クラブを結成するようになりました。やがて20世紀に入りヨーロッパ全土でキャンプが盛んになると、各国のキャンピング・クラブが集まりキャンプの国際組織を作ろうという動きが生まれました。
1932年5月15日、オランダ・ツーリスト・キャンパー・クラブ(NTKC)の呼びかけによりオランダのザクセンハイムでキャンピング・クラブ会議が開催され、イギリス、ベルギー、フランス、オランダ、イタリアの5か国から11のクラブが参加しました。 この会議でキャンプ場に関する情報交換、国際キャンプ大会の開催、各国クラブの交流、キャンプ用具の開発、キャンプツーリングの環境整備などを目的として、「国際キャンピング・クラブ連盟」(Fedration Internationale desClubs de Camping)を設立することが決まりました。略称はフランス語表記の頭文字を取ってFICCとしました。
翌1933年6月、イギリスのハンプトンコートにベルギー、フランス、イギリス、イタリア、オランダ、スペイン、チェコスロバキアの7か国から13のクラブのメンバー390人が集まり、第1回FICC世界大会が開催されました。初代FICC会長にはザ・キャンピング・クラブのジョン・チャンピオン会長が就任しました。以降毎年大会が開催されます。
1939年8月、ヨーロッパの政情が不安定なさなか、第7回世界大会がスイスのチューリッヒで開催され、イギリス、フランス、ベルギーなど9か国から約1000人のキャンパーが参加しました。大会期間を通して、戦争の予感が暗雲のように重く垂れ込めていました。閉会式に出たキャンパーは次回の開催国に決まっているオランダで再会することを誓い合いました。閉会式が終わると参加者たちはドイツ国内を通るのを避け、ベルギーやフランスを夜間運転して帰国の途につきました。それからまもない9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発しました。FICC世界大会はその後7年間にわたり開催されることはありませんでした。
1940年は第8回FICC世界大会がオランダで開催されることになっいましたが、その年5月にドイツ軍がオランダに侵攻し、オランダキャンピングクラブ(NTCK)会長のドレスデン教授はユダヤ系オランダ人であったために、ドイツ軍に捕えられて強制収容所に送られました。終戦の翌年1946年11月16日にフランス・キャンピング・クラブの本部で戦後初めてFICC理事会が開催されました。理事会にはイギリス人のチャンピオンFICC会長のほか、イタリア、フランス、スイスの理事そして強制収容所の生活を奇跡的に生き延びたドレスデンNTCK会長が出席しました。会議の冒頭でFICC会長は過酷な年月のあとでFICC理事が再会できた喜びと幸福を述べました。そしてFICC世界大会を再開することを提案し、ドレスデンNTCK会長は5年前に中止された世界大会をオランダで開催する意志を表明しました。
終戦から2年後、まだ戦争の生々しい傷跡が残る1947年8月1日から8月10日まで、ハーレム郊外のヘームステッテで第8回FICC世界大会が開催されました。 開会式の壇上にFICC会長が立ったとき、参加者全員が割れんばかりの拍手を送ったことは言うまでもありません。人々は再び生きて会えたことを喜び、心の底から平和の尊さをかみしめました。平和はFICCが存続するための大前提であると同時に、FICCが永遠に追求すべき目標でもあります。このときFICCの旗のもとに集まったキャンパーは「平和な世界を実現するために、あらゆる努力を払う」ことを誓い合いました。
(明瀬一裕著・オートキャンプの歴史より抜粋)